なぜ「センターはやっぱり舞菜」なのか?

お久しぶりです。橘孚です。

思い出したようにブログに戻って参りました。

というのも時間がないのです。考えたことをSSとして出力する時間が。

私は「大切な解釈(大仰なものではなく、考えたこと、くらいのカジュアルな語彙としてここでは用います)はSSで出す」という意地のようなものを持っています。

しかし、今回のことは考えても考えてもサクッとSSにすることはできませんでした。そのためブログという形にしてその先を皆さんに委ねようと思うのです。

今更ブログを使用することにはひとつの企みもあります。

それは皆さんにもっとリステに関して考えたことを語っていただきたいというものです。

解釈を作品にして発表するという営為に伴う労力や心理的ハードルのことは理解しているつもりでおります。

しかしブログはどうでしょうか。

ブログであれば、場面の変遷なしに要点だけを述べることができる。

ブログであれば、キャラクターに扮さず自身の言葉でありのままに語ることができる。

ブログであれば、語ることは楽になると思うのです。

私は他人の解釈に飢えています。

もっと、もっと皆さんに解釈を語って欲しい。

ブログという形式を振興すれば、皆さんがたくさん語ってくれるかもしれない。

そう考え、そのブログの振興に微力ながら貢献するため、今こうして筆を執っています。

自分語りが長くなってしまい申し訳ありません。ここから本題に入っていこうと思います。

 

目次

 

 

なぜ「センターはやっぱり舞菜」なのか?

 

私の提議は上記のとおりです。

私以外にも何人かの方が言及なさっているこの問題。しかし、何が問題なのか? と疑問に思われる方もいらっしゃるかと思います。

そのため、まずは「Re:ステージ!」という作品内で「センター」というポジションがどう扱われているかから確認してみましょう。

 

 

【前提①】センターとは何か?

 

ここで着目していただきたいのは「各ユニットの人数」です。

KiRaRe、オルタンシア、テトラルキアはそれぞれ6、2、4人。

対してステラマリス、トロワアンジュはどちらも3人です。

つまり本校組は奇数人→センターが存在する、それ以外は偶数人→センターが存在しない、という構図になっています。

 

これは重大な示唆を含むように見えます。というのは、本校組とそれ以外とではアイドル活動に対する姿勢が大きく異なるからです。

本校は実力主義の世界。アイドルたちは常に優劣の判定に晒されます。

その中で頂点に立つのは式宮碧音と白鳥天葉の両名——つまりステラマリスの、トロワアンジュの「センター」であり、彼女たちは「あの」トップユニットの絶対的「センター」として称揚されています。

つまり、センターというポジションはユニットの他メンバーに対して(総合的に見て)優越する者に与えられる特権的な位置として捉えられるのです。

そして同時に、そのセンターを持たないKiRaRe、オルタンシア、テトラルキアは優劣の判定よりも重視するものがあるユニットとして描かれているという理解にも然程無理なところはないと思われます。

 

またこの説の補強をトリオライブ編に求めることも不可能ではありません。

トリオライブ編は対決を主軸としたストーリーであり、KiRaRe、オルタンシア、テトラルキアまでもが優劣の判定を第一に考えて動き、前章のペアライブよりもそれが強調されています。

ペアではなく、トリオ。必然的にセンターを決めることが要請される編成で、彼女たちは同ユニットに選んだ二人と自身との優劣にも直面させられたのではないでしょうか。その中で、より他ユニットに対する闘志も大きくなっていったのではないでしょうか。

 

後半はやや眉唾めいたものであるにしろ、とにかく、このようにセンターというものは「Re:ステージ!」世界ではより優れた者が勝ち得るポジションであり、その認識はキャラクターたちにもある程度共有されているということは言えるのではないかと考えます。

 

 

【前提②】月坂紗由以外はセンターについてどう思っている?

 

さて、ここで問題の箇所に立ち返る——前に、同じ「ちぐはぐメロディ」の内での式宮舞菜、岬珊瑚のセンターについての言及を見てみましょう。

 

「センターはやっぱり?(舞菜よね!)珊瑚でしょー!!」

 

これが岬珊瑚の言及です。

ここからは、センターは譲らない、という岬珊瑚のプライドがはっきりと見て取れます。ステラマリスに所属する岬珊瑚はセンターが最も優れた者の立つ場所であると認識し、それが自分であると主張しているのです。

 

「ぐるぐる交代しながらは?」

 

対して式宮舞菜はこう言います。

実に舞菜らしい考え方です。優劣を排し、楽しむことを第一に考える——そんな気質がこの一言に表れています。

 

 

【問題の確認】では、紗由は?

 

「センターはやっぱり?」「舞菜よね!」

 

今まで確認してきたことを踏まえると、この言葉はどういう意味を持つでしょうか?

優劣——つまり、月坂紗由は式宮舞菜を「格上」として認めている、ということにならないでしょうか。

これには、個人的にとてつもない違和感を覚えます。

果たして月坂紗由は、努力家で負けず嫌いの月坂紗由は、他人が自分より優れていることをあっさりと認め、センターを譲るような人間でしょうか?

 

私の考えから言えば、否です。故に、違和感が生じました。

しかし、相手は「Re:ステージ!」です。こと楽曲に関しては素晴らしい熱意を持つコンテンツです。このやり取りがただのミスであるとは思えません。

何か、理由があるはずです。月坂紗由にセンターを譲らしめた理由が。

ということで、その理由について三つの仮説を立てました。以下で、一つ一つ確認していこうと思います。

 

 

【仮説①】そのまま受け取ってよいのではないか?

 

違和感を覚えるとはいえ、確かに月坂紗由が式宮舞菜を格上として扱っているとしても間違いとは言い切れません。

月坂紗由は割合自己肯定感の低い人間に見えます(それが所謂「教育ママ」である月坂母によってもたらされたものかについては、また議論の余地があると思います)。

また、トリオライブ編後のスランプなどからも月坂紗由は周囲と自分とを比較し落ち込みやすい人間であると思われますし、その比較対象が式宮舞菜になったこともあります。

つまり、センターに纏わるやり取りはあっけらかんとした、しかしだからこそ根深い、自己肯定感の低さと式宮舞菜に対する劣等感の無意識の発露であったのではないでしょうか。

 

しかしやはり月坂紗由は負けず嫌いでもあります。

相手が式宮舞菜だとて、才能には努力で、努力にはさらなる努力で立ち向かおうとする人間です。というか、そうであって欲しいです。欲しいでしょ?

また同じ場に岬珊瑚がいるというのも不可解さを増す原因です。最も明確に敵意を抱く相手の目の前で他人を立て勝負から降りるような真似を月坂サル、ではなく月坂紗由がするでしょうか?

そう考えると、やはりこの説はあまりしっくり来ません。なにか他の理由がありそうです。

 

 

【仮説②】「キュート」という評価軸に基づく発言ではないか?

 

個人的に本命の説です。

コンセプトライブ編において、式宮舞菜、月坂紗由、岬珊瑚はキュート部門の参加者として集まります。しかし、月坂紗由は自らを然程キュートに合致する人間とは思っていない可能性があるのです。

月坂紗由は年齢に比して大人びており、一年組の中ではお姉さん的な役割を果たすことが多々あります。またKiRaRe内においても、随一の常識人として他の面々を諫める描写をあちこちに確認することができます。

そんな中で、月坂紗由の自認がキュートとはそぐわないことは充分にあり得るでしょう。そして、「キュートさにおける」優劣を冷静に判断した結果、センターに相応しいのは式宮舞菜だという結論に至るのです。

 

やや肩透かしの感はありますが、目立つ瑕疵のない説だと思われます。

 

 

【仮説③】センターは優劣ではない?

 

前提をひっくり返してしまい申し訳ありません。

しかし、あくまで「センターは最も優れた人間が立つ場所」というのは本校的な価値観に基づくものです。

「センター」というポジションの本質はなんでしょう?

それは、ユニットの顔であるということです。代表であるということです。

本校においては、アイドルの価値は相手に勝ることで証明されます。故にセンターは最も優れた人間の立つ場所なのです。

それでは、他のユニットにおいてはどうでしょうか?

相手より優れていることが重要でないのなら、センターも必ずしも最も優れた人間でなくともよいのではないでしょうか?

つまり、月坂紗由はKiRaReというユニットの本質を表現するにあたって最も相応しいのが式宮舞菜であると考えているのではないでしょうか?

 

ここで、式宮舞菜と月坂紗由の関係は「ONE PIECE」におけるルフィとゾロの関係に例えてみたいと思います。

ルフィとゾロはお互いに対等な関係を築いていますが、麦わらの一味が集まった際、ゾロはルフィを船長として立て、他の船員にルフィを船長として敬うよう促す行動を取ります。集団の統率を取り結束を強固にし、正しい方向に進むためにそれが必要だからです。

しかしゾロがルフィを船長として扱い、敬うことはゾロがルフィを自らよりも格上だと思っていることを意味しません。ゾロは、麦わらの一味という集団をルフィとの一対一の関係よりも上位に置いているというだけです。

以上を踏まえて、ルフィを式宮舞菜に、ゾロを月坂紗由に、麦わらの一味をKiRaReに——そして、船長をセンターに置き換えてみましょう。

月坂紗由が式宮舞菜をセンターに推すのは、KiRaReの持つメッセージ性を代表するに相応しい人間だから。

本来センターを持たないKiRaReの中で、それでも誰か一人を選ぶなら、月坂紗由は真っ直ぐに式宮舞菜を指差すでしょう。

つまり、月坂紗由が「自分がアイドルとしてより高みへ行くこと」ではなく「KiRaReがアイドルとしてより高みへ行くこと」を考えるのに慣れた結果が、センターは、と問われたときにほとんどノータイムで式宮舞菜を推すことだったのではないでしょうか?

 

やや飛躍はありますが、月坂紗由の成長、そして彼女のKiRaReというユニットに対する深い思い入れを取り込んだ趣のある説だと思います。私はこの説が一番好きです。



 

さて、いかがでしたでしょうか。

先述のとおり、個人的に最も蓋然性の高いと思われる説は仮説②、こうであってほしいなと思える説は仮説③です。

皆さんはどう思われますか? この三つの仮説にしっくりくるものがあったでしょうか? それとも、異なる仮説をお持ちでしょうか?

 

ぜひ皆さんのお考えをお聞かせください。この記事における議題に関わるものでも、そうでなくとも構いません。

この記事が、「Re:ステージ!」に関する議論がさらに活発になる契機の一つとなればと願います。

 

長々とお目汚し失礼いたしました。

最後までお読みくださりありがとうございました。